だれにも見えない書架

ゲームにはまりすぎて、久々に(自分が)ぶっ壊れました。

「婚約」

「フィー、いえ、王女殿下と、私が、婚約、ですか」
 人は予想外のことを言われると、固まってしまうものらしい。ヴィンフリートは生まれて初めて口を開けたまま、父の声を聞いた。

「何を呆けたような顔をしておる、ヴィンフリート。もっと喜ばんか」
 シルヴェストルのいかめしい顔に、ヴィンフリートは慌てて開いた口を閉じる。
「ですが、父上。それは、何かの間違いではありませんか」

「何を言うか! 間違いであるはずがなかろう!」
 一喝すると、シルヴェストルはゆっくりと歩き出す。そういえば、昨夜は雨が降っていた。どこをどう歩いて来たのか、泥の跳ね上がったままのブーツで、父はヴィンフリートの自室を歩き回る。

「昨夜、陛下と酒を酌み交わしたときに、儂が姫様のかわいさを思う存分に称えたところ、もったいなくも、陛下がそうおっしゃってくださったのだ。『シルヴェストル、そんなにフィーリアがかわいいなら、お前の息子とフィーリアを結婚させればいいじゃないか。そうなれば、フィーリアはお前の娘だ。さあ、お前も、娘を持つ最上の喜びと苦しみを味わうがいい』。ああ、陛下はなんと、お心の広い方なのだ」

 最上の喜びはともかく、苦しみとは何だろう。ヴィンフリートが口を挟む間もなく、シルヴェストルは見たこともないほどの笑顔で語り続ける。

「ああ、まったく考えもしなかった。そうだ。それが一番良いのだ。そうなれば、姫様は未来永劫、儂の娘ではないか。なんというすばらしいことだ」

「ですが、父上。王女殿下はまだ、御年五歳でいらっしゃるのです。そんなにも幼い殿下の結婚相手をこんなにもあっさりと決めてしまうなどと、おかしくはありませんか」

「ヴィンフリート。陛下の決められたことに、何の不満があるのだ。それとも、何か。お前は、このうえなく愛らしい姫様を、もったいなくもお前の妻にできることが、まさか、不満だというのか?」

 シルヴェストルは、暖炉の前の一番の気に入りの深緑色の敷物の上で立ち止まる。
「そんなはずがないでしょう! 不満なはずがありません!」
 思わず声を荒げたヴィンフリートは、落ち着くために深呼吸する。

「当たり前だ。万が一にも、姫様をいただくことに不満があると言ったなら、この場でお前を勘当しておったわ。だいたい、王族の婚約は生まれてからすぐになされることの方が多いのだぞ。あの愛らしい姫様のことだ。年頃になったら山と縁談が来るだろう。くだらぬ男が近づかぬうちに、婚約をしておいた方が儂も安心だ。あとは、お前が幸せにすればいいだけではないか」
 シルヴェストルはぎろりとヴィンフリートをにらみつける。

「それとも、ヴィンフリート。まさか、お前は、姫様を幸せにする自信がないのか?」
 まだ13歳のヴィンフリートに、フィーリアを幸せにできるかどうかなど、即答はしかねた。それに、彼女に関することでいい加減な答えは言いたくない。

「それより、父上。なぜ、私なのですか? ロートフリートもいるではありませんか」
 話題をそらしたことを気にすることなく、シルヴェストルは話を続ける。

「陛下はこうもおっしゃった。『ああ、娘なんて持つものではない。たった5つのかわいいかわいいかわいい娘が、他の男の話ばかりするという、父親の悲惨な心境を考えたことがあるかね。私の夢はフィーリアに『大きくなったら、お父様のお嫁さんになりたい』と言われることだったのだ。それがどうだ。近頃のフィーリアは、口を開けば、ヴィン兄様がどうした。ヴィン兄様がこうした。ヴィン兄様に知らないことはない。ヴィン兄様は、とっても頭が良い。ヴィン兄様は、この世で一番かっこいい』」

「お、お待ちください、父上。陛下は、本当に、そのようなことをおっしゃったのですか?」

「そうだ。儂は耳を疑ったわ。ヴィンフリート、いつの間に、お前は姫様にそこまで好かれるようなことをしたのだ。お前は、子どもが苦手なのではなかったか。陛下を差し置いて言うことではないが、儂だって、『おじさまのお嫁さんになりたい』と言われてみたかったのだぞ」
 ヴィンフリートは思わず目をそらす。

「もちろん、苦手です。ですが、王女殿下は聡明であらせられる。普通の子どもとは違います。それに、特別なことは何も」

 ヴィンフリートは、乳兄弟の範疇を超えない程度に、普通にフィーリアに接しているだけである。思い当たることと言えば、時折、図書室に連れて行ったり、図書室に遊びに来たフィーリアの相手をしたりしたことくらいだ。

 たぶん、フィーリアに接する人間自体が少なすぎるのだろう。だから、話題に出てくるのがヴィンフリートのことばかりになるのかもしれない。

 だが、ヴィンフリートが、この世で一番かっこいい、とはどういうことなのだろう。本当にフィーリアはそう言ったのだろうか。これこそ、何かの間違いではないのか。

「まあ、そんなことはどうでもいい」

 シルヴェストルは苦々しげにつぶやくと、再び、敷物の上を歩き出す。

「それから、陛下は、こうもおっしゃった。『私はフィーリアからヴィンフリートのことを聞かされすぎるあまりに、正直、きみの息子を殴り倒して、蹴り飛ばしたあげく、国外追放にしてやりたくなってしまったよ。だが、それではフィーリアに恨まれてしまうからな。愛娘を泣かせるわけにはいかない。ここは、大人しく、涙を呑んで、きみの息子を、フィーリアの婿にすることにしたのだ』そうして、陛下は何杯も酒を飲まれたのだ。儂も飲んだ。実にうまい酒だった」

「父上。婚約の話は、やはり、酒の席の戯言ではなかったのですか。本気にする方が、陛下と王女殿下に失礼な気がいたします」

「いいや! たとえ戯言でも、嘘から出た真と言う言葉もある。こうなった以上、姫様を我が家にお迎えするべく、全力で−」
 シルヴェストルが言い終わる前に、扉が勢いよく開く。

「ああ、シルヴィー! 会いたかったわ!」
 現れた人物は、淡い紫色のドレスを翻して駆け寄ってくると、勢い良くシルヴェストルに抱きついた。

「おお、リディア! 一体、どうしたのだ!」
 抱きとめて、母をぐるぐる回し始めるシルヴェストルを見まいと、ヴィンフリートは天井に目を向ける。

「ああ、あなたに会えなくて、寂しかったわ。シルヴィー」
「儂もだ、リディア。そなたに会えない一日は、まるで、一年のように感じるぞ」

「お二人とも、いい年をして、恥ずかしくないのですか。母上は、確か、昨日もイシュメールで父上と顔を合わせたのではありませんか」

 リディアは少女のように頬を染めて、振り返る。ぐるぐる振り回されたせいで、きっちりと結った銀色の髪がほつれて、頬にかかる。乱れた髪ときらきら輝く緑色の瞳が、なおさら彼女を若々しく見せていた。

「あら、ヴィンフリート。お城でシルヴィーに会うのと、家で会うのは、ぜんぜん違うわ。だって、シルヴィーって呼べないんだもの。ねえ、シルヴィー」
「仕方なかろう。リディア。そなたの気持ちもよくわかるが、公の場では威厳を保たねば、下のものに示しがつかないではないか」

「でも、やっぱり寂しいわ。シルヴィー。あなたのいかめしいお名前も好きだけれど、私は、やっぱり、シルヴィーと呼びたいもの」
「そうだとも、リディア」

 だめだ。早く二人を止めなければ、このままだと、意味もない名前の呼び合いが続いてしまう。ヴィンフリートは努めて声を大きくする。

「それで、母上、一体、どうされたのです?」
「ああ、そうそう。いけないわ。シルヴィーを目の前にすると、何もかも忘れてしまうんだもの。大切な用があったのだわ」
 やっとシルヴェストルから離れたリディアは、ヴィンフリートの両肩に手を当てる。

「陛下から、お伺いしたわよ。よくやったわ、ヴィンフリート! フィーリア様とご婚約だなんて、わたくしは、うれしくてうれしくて。さすがわたくしの息子だわ! ああ、フィーリア様がわたくしの娘になってくださるなんて! こんなに幸せなことがあるかしら!」
 そのまま、ばん、ばんと勢いよく両肩を叩かれて、ヴィンフリートは目を見張る。

「そのお話は、本当なのですか?」

「本当も何も、陛下がじきじきにあなたに話したいっておっしゃって、これからあなたを城に連れて行かないといけないのよ。だから、残念だけれど、またしばらくお別れね、シルヴィー」
「わかっている、リディア。そなたは、もったいなくも、姫様の乳母を勤めているのだから。この寂しさなど、大切なお役目を思えば、何ということもない。ああ、思い出すぞ。出会った日を。儂は今でもよく覚えている、リディア」
 ヴィンフリートは慌てて、シルヴェストルの話を遮る。

「私もよく存じております。母上が、お忍びで街を歩いていたところを、悪漢に襲われそうになり、持っていた本で返り討ちにする姿を父上が偶然にご覧になって、その勇姿に一目惚れをしたのですね」

「人の話を取るな、ヴィンフリート。ああ、あのときの、そなたは、本当にりりしかった」
「あら、逆上してさらに襲いかかってきた悪漢から、わたくしを助けてくださったのは、あなただわ、シルヴィー。わたくしは、なんて、素敵な騎士様が助けてくださったのかと思って−」

「母上! イシュメールに行かなければならないのでしょう。私は、ロートフリートを探してまいります。どうせ、庭をうろつきまわっているのでしょう」
 まったくヴィンフリートの話を聞いていない二人を残して、部屋を出ると、長い息を吐く。

 ターブルロンドの王女たるフィーリアとポンパドール領主の長男たるヴィンフリートの婚約である。家柄なら問題はないし、理想的な縁組と言えるのかもしれない。

 だが、なぜ自分が選ばれるのだろう。

 弟のロートフリートの方が、よほどフィーリアと仲がいいと思っていたのだが、まさか、自分の方が好かれていたのだろうか。

 いや、違う。

 フィーリアは、まだ、たったの5歳なのだ。好きも嫌いもないだろう。そんな幼い子どもの言葉に左右されるほど、王が愚かだとは思えない。しかも、事は国の一大事。王女の結婚のことなのだ。

 ヴィンフリートは騎士ではない。騎士王の建国したターブルロンドにおいて、騎士ではない彼が、王女の結婚相手に選ばれるなどと、何かが間違っている。だが、ロートフリートは将来、必ず騎士となる。おそらく、このポンパドールの領主となるのは、弟の方だろうに。

 庭を駆け回っているはずの弟を探し回りながらも、ヴィンフリートは何度も「おかしい、おかしい」とつぶやき続けていた。

2008.10.18 22:01 | パレドゥレーヌ−「守るべき場所」 | トラックバック(-) | コメント(-) |